自分が根本から変わる場所、それが水輪フリースクール
だれもがすばらしい力を持っている
あなたの隠れている力を引き出し、仕事ができるだけではなく、あなたが求めている満たされた人生を実現していきましょう。
迷っているあなた、苦しんでいるあなた、求めているあなた。仲間と共に本物の人生を見つけよう!
人生は何のために生きるのか、何のために働くのかを知りたい方、一緒に学びつかんでいこう!
生き方と働き方学校での学び
生き方と働き方学校では、本人の自立を考え、社会を自分の力で生きていける人間力と仕事力を一人一人が備えるという視点から学びを深めています。家庭ではどうしても甘えと依存でひきこもりがちになったりしますが、生き方と働き方学校では、皆と一緒に切磋琢磨しながら、お互いをともに成長させています。今までやってきてしまったパターンや、安心すること、安定ができなかったことも、集団のもつ力のすごさにより、1ミリ1ミリずつ良くなっています。特に心の病のある方は長い間の生育環境などにより、脳内物質も変化しており、良くなるためには、脳内物質をよいものに変化させていく意識(こころ)の教育や薬の調整や今まで自分を悪くしていた環境から離れるなども含め時間がかかることをご了承ください。
今までは、生命現象は全て遺伝子情報により支配されていると思われてきました。しかし現在では、その遺伝子のスイッチをオン・オフにしているのは環境や「こころ」であることが分かっています。つまり遺伝子が最上位ではなくその上に「環境」や「こころ」があるといわれています。こころの力が遺伝子にも影響を与えることを知り、ぶれない心や信念・意志を強く持つ心など、こころを強くすることが最重要であります。
働く基礎練習と自分を磨く
水輪ではすべての行いを心静かにしかも的確に行えるように常に呼吸を意識しています。
掃除、食事の準備など、日常生活を営むために必要な様々な実習をただ漫然とこなすのではなく、
集中し、心を込めて行うことによって、心が静まり、心が磨かれて行きます。
そして、大自然の中で体を動かすことの気持ち良さ…。呼吸の乱れが整い、静かな心になっている自分に気づきます。
禅の修行では、自己を深めるため作務(つとめを果たす、つとめをつくる。1日なさざるは1日食さず)を通して、いま、ここ、自己という小さな自分から、いま、ここ愛という大きな自分に目覚めて行きます。
何の変哲もない日常の中にこそ真理があることを思い出して下さい。そして、ときどき小鳥の声に耳を傾けて下さい。野の道の名もなき雑草にふと心を置いて下さい。忘れていた遙かなるものにつながっている自分をきっと発見されていくことと思います。
Working Meditation ~清掃について~
ご存じの方も多いと思いますが、禅の教えの中にこんな話があります。修行僧の中に非常に物覚えが悪く、愚純な人がいたそうです。禅師は彼に毎日清掃することを命じました。これは、自分の心の中にあるゴミを掃き清めるのだと信じて清掃するようにと。毎日、真剣に清掃を続けた彼は愚純であることから解放され、大変頭脳明晰になったということです。この話に象徴されているように、行為と意識とはつながっています。そして、自分ではコントロールできない深い意識にアプローチするには、行為から入ることが大変有効です。言葉についても同様です。たわいないおしゃべり、心無い言葉、意味のないジョークや流行の言葉の連発、他人をねたにしてその場を楽しむ、といったことをしていませんか。そうではなく、他者を思いやる言葉、真実の言葉、正確な情報を伝えるということを心がけて言葉を発してみてください。意識は必ず変わって行きます。
目覚めた心と散漫な心(Mindful&Mindless)
ただ漠然と行う行為、思慮のないことばづかい、これらは散漫な心(=mindless・マインドレス)の現れです。心に注意を払わないで、物質的なことのみに目をむけながら生きていると心はすぐに散漫になってしまいます。心はエゴでいっぱいになり、常に何かを求め、満たされない状態です。心はスキだらけで、すぐネガティブな波動と感応してしまいます。これにたいして、目覚めた心の状態があります。常に自分を見つめる意識があります。何が起こっているのか、自分がどんな状態にあるかがわかっています。何かの中にいながらもそれに浸ってしまうことはなく、いつでも心を転換することができます。心には調和があり、満たされています。(=mindful・マインドフル)目覚めた心の状態に至るために古来より多くの道が考案されてきました。特に日本文化はこの点が非常に優れています。茶道、華道をはじめとして道と名のつくもの、柔道、剣道、弓道、合気道、書道などは、行為の瞑想です。禅僧が行ってきた作務もそうです。体を使うことを通じて目覚めた心に至ることを目的としています。私たちが日本人は灯台下暗しで、今日ではこれらの道の本来の精神を正しく理解している人は少ないのですが、欧米ではこれらの道はマーシャル・アーツとよばれ、心身が共に目覚めて行くための有効な手段として高く評価され、日本人以上にその精神に精通し、熱心に取り組む人が多いのです。
行いはその人の意識の現れ(Deeds are manifestiation of your consciousness.)
言葉や行為はその人の意識の現れです。エゴに満ちた意識の時はそれに相応する言葉づかいや態度が示されます。愛に満ちた心でいる時にも、それは言葉や態度に現れます。意識と言葉と行為は私たちが肉体を持ち、生きている限り切りはなすことはできません。意識がおおもととなって、それが言葉や行為となって現れ、五感で認識されるわけですが、言葉や行為の瞑想では逆のアプローチを行います。最初は心は散漫でも良いのです。けれど、注意深い行為、ていねいで心を込めた行為を意識的に行ったり、それにもとづく言葉を意識的に発したりすることによって、つまり、目覚めた心から出てくる行為や言葉を形だけでも真似してみることによって、実際にその意識に至ろうとするものです。そんなことが果たして可能なのだろうか?と思われる方もいらっしゃるでしょう。不思議なことかもしれませんが、それは可能です。水輪でのワークや共に時間を過ごす人たちとの言葉づかいからはじめてみてください。ここにいる間だけでも意識的に行うと、それが次第に潜在意識にインプットされ、あなた自身を変えていきます。