水輪フリースクール

実習生 日々の気づき

「人から信頼される仕事をする」

私は自閉症スペクトラム症と注意欠陥多動性障害という二つの発達障害を持っている。今は総務で簡単な事務の実習をさせて頂いているが、とにかくケアレスミスが多く、文章の誤字脱字や印刷ミス(必要以上にプリントしてしまう、サイズを間違えるなど)が多発している。同じミスばかりする人間に誰が仕事を教えようか。社会はそういう考えをするのかもしれない。
けれども、そんなミスばかりする自分であるにも関わらず、毎日、先生や仲間は自分に実習を任せてくれる。

なぜだろうと考えた時に、いくつかのことが浮かんだ。まず第一に、返事はしっかりと「はい、わかりました」と言うこと。2つめには、「素直になること」。注意をして頂いたら、「ごめんなさい」「申し訳ございません」と言い、言い訳をしないこと。最後に、「一生懸命やること」。ミスしてもくよくよしない。できなくても投げ出さない。逃げない。自立した人間になるために、私たちは常日頃から、どう働くのか、どう生きるかを実習を通して教えて頂いている。ミスしてもいいよ、ということではなく、そこでいじけない、くじけない。それでも前向きに素直に一生懸命今に生きてやることが一番大事なんだということを学んでいるのである。
 

「共に生き合う生活療法のなかで」

以前、みどり先生が「生き方と働き方学校ではどんな取り組みをされているんですか?」と聞かれた時、「生活療法です」と答えたことがあるという。
たしかに私たちは生活という名の実習を通して、それぞれの課題の突破に取り組んでいる。

生活療法は、「精神疾患などの長期療養後に社会復帰を目指す際に、日常生活の自立を促すための治療法」のようで、読んでいてなるほどとは思ったが、水輪の生活療法はそれに留まらないと思う。病院のように「医者」と「患者」のような「する側」、「される側」といった関係もない。病院が提供するのは「病床」と「お薬」や「診断書」だが、水輪が提供するのは「無農薬・無化学肥料のお野菜」、「総天然木の呼吸ができる建物」、そして血のつながらない家族と24時間、共に生活することで自分の課題に気づかされていく。
愛と感謝なくして、人はよくなることはない。それを日々経験、体験しながらみんなよくなっていくのだと思う。

「人生は日進月歩、一進一退、七転び八起き」

昨日とうってかわって、今朝はAさんは調子が良さそうだった。
昨日の朝食のミーティングでAさんの態度が問題になり、食堂にいるみんな一人一人がマイクを持ってAさんの問題点を言っていった。その時、聞いている本人は目線を下にやりながら、話を聞いているような態度では全くなかったのだが、のちに直筆の文章を書いてきた。
自分の態度に問題があったこと、自分が起きれるようになるために「大きい音が出る目覚まし時計を買う」などの前向きな姿勢が見えた。

一時的なのかもしれない。また数日後、ころっと変わってしまうかもしれない。それでもミーティングの後、前を向けた。
一進一退かもしれないが、七転び八起きを繰り返し、それが日進月歩になるのだと思う。
毎日、誰かしらが笑ったり、怒ったり、泣いたり、色々な出来事が起こってくる。
「いのちの森」で生きる人々は、腐らない、折れない、あきらめない。
日進月歩に人生を彩る、かけがえのない場所なのかもしれない。
 

「感謝していたのだろうか」

お客様の感想文やサポーターさんの感想文を読んでいると、ほとんどのお客様が感謝のことばを述べている。
それに気づいた時、ふと水輪に来る前の私には、「感謝の心があったのかな…」と思った。
誕生日を祝ってもらった時や、旅行に行った時など、何かイベントがあると「ありがたいな」と思う時はあったが、日ごろ日常の何気なく過ごしている時、そこに感謝があったのだろうか。
目がある、手がある、足がある、口がある、鼻がある、耳がある、自分でご飯が食べれる、排泄できる、お風呂に入れる…自分の普通が、普通にある。
ただそれだけで、どれだけありがたいことなのだろうか。それに気づいた時、目の前が輝きだして、人間の無限の可能性に気づくことができる。

しかしそれに気づけない内は、お金がない、恋人がいない、車がない、家がない…と無いものばかりに目が行き、自分が最初から持っている素晴らしいものに気づけないのではないだろうか。
人が外側に何かを求める限り、虚しさは無くならないのではないかと思う。相手が悪い、誰かが悪いと言い続ける限りは、いつまでたっても争いは起こり続けるのだろう。
これは紛争地帯ではなく、外側に求めている人がいる限り、いつだって争いの火種は尽きない。争うことを意図されたようなこの物資社会から、いかに精神世界にシフトしていくのかを、今、天に観られてるのだと思う。水輪に来て内省文、感謝文を書くようになってから、感性が極められて磨かれてきているように思う。
一日の終わりに、自分と向き合う時間。せわしない現代社会では、一番向き合うべき自分に向き合う時間がない。
そのせわしなさも、現代人の精神の病を作る理由の一つなのかもしれない。

「自分はどんな人間か」

今朝の朝礼で、研先生が人間には4つのタイプがいることをお話しされた。「自分にも他人にも甘い人間」、「自分に甘く他人には厳しい人間」、「自分に厳しく他人に甘い人間」、そして「自分にも他人にも厳しい人間」。これらの中から自分のタイプを分析し、レポートを書いて提出するという課題が出され、今も自分はどのタイプかと頭を悩ませながらこの文章を書いているのだが、なかなか1つ「これ」と決めるのが難しい。自分に厳しくしてきたのではないか、というよりは「逃げなかった場面」というのはいくつか思い浮かぶことがある。以前、館内で清掃の実習をしていた時、一緒に掃除をしていた仲間が体調不良になる、メンタルの不調を起こす等して、一人でミオリネ一階の清掃を終わらせたという記憶だ。自分はどういうわけか、一人で片付けをするにしても一人で掃除するにしても、一人で何かをやることに対して何ら抵抗を感じない。

何故だろうと考えると、やはり答えとして浮かぶのは母の病気だった。16、17歳だったとはいえ子供ながらに一人でご飯を作り、洗濯、掃除をする生活をしていたこと。その経験があったからこそ、掃除も片付けも自分だけで行うことに何も抵抗を感じないのだと思う。そんな経験をしたからこそ、今、仲間と一緒に掃除や片付けができるのが楽しくてありがたいなあと感じるのである。つくづく水輪での生活実習は、「集団が持つ力」というものを感じることができる貴重な機会であると思う。

話が脱線したが、そんな「集団が持つ力」を発揮する「血の繋がらない大家族」との生活実習の中で、自分に甘くしてしまう場面も存在する。例えば昨日10月22日は自分の苦手な大根おろしを他の人のプレートに盛ろうとしたら、「苦手なものを人にあげすぎている」と注意を受けた話があるように、ある程度の期間寝食を共にした仲間だからこそ起こってしまう気の緩みから自分に甘くなってしまうということもある。今一度、この文章を書きながらそういう気の緩みが起こっていないかと自己に問うてみる。「この人のこういうところはこうだから仕方ない」と、どこかで悪い意味で気を緩めてしまっていないだろうか。みどり先生から、自分は「自分より下の人には厳しく言うが、自分と対等か上の人には厳しく言えていない」というご指摘を受けたのがつい先日のことである。これができるかできないかで、自分の芯の太さは大きく変わるのだと思う。そう書いていってみると、自分は現状「自分に甘く、他人に厳しい」人間なのかもしれない。

自分にも他人にも厳しい人間だから良いというわけではないのだろうが、ばしっと注意する時は誰に対してもしっかりと発言し、自分も他人も甘やかすことなく淡々と何事もこなせる人間になれたらと思う。実際に、「自分にも他人にも厳しい人間」としてお手本を示してくれて下さっているのが、塩澤研一先生とみどり先生ではなかろうか。研一先生は朝2時からさおりちゃんのご飯を作り、朝礼までに事務を終えて朝礼後、ほぼ毎日のように長野に降り何件もの銀行を周ってさおりちゃんの食材を買ってお昼までには帰ってくる。その後また事務に戻ったり、お客様がいる日はお話をしに行くなどして夜8時には眠る毎日を過ごしている。セミナー時やファームの現場では総指揮を取り、誰よりも先の先を見ている。みどり先生は朝からナナカマドでさおりちゃんとエンジェルナースたちを見守り、指導しながら自分の事務に取り組んでいる。朝食後くらいから自分のデスクに戻り、いつもながらに事務を始めるのだがその最中にあの場所この場所にと掃除や物を置く位置、場所などの指示を出しつつ体調のすぐれない実習生たちの指導も行い、ガラスごしにさおりちゃんとエンジェルナースたちを見守るのはかかさない。痰がつまったりむせかえることもある中、母屋・総務メンバーの司令塔をしている。お二人とも80代とは思えない程パワフルに動き回っているのだが、それでもちょっとつまづく研先生を見たり、苦しそうに咳込むみどり先生を見ると自分たちの燃えるようないのちを削りながらも私たち全員に対して真剣であられる。ましてや自分たち「血の繋がらない大家族」のほとんどは心に病を抱えている。中にはご家族や病院でも見きれなかったメンバーもいるなか、「うつ病だから」「発達障害だから」「統合失調症だから」などと、病気を理由にせず「一人の人間」として教育して下さっている。

この日常は朝何時に出勤し、何時に退社などという時間制で会社勤めしている人とは全く違い、先生方は24時間みんなとの生活の中で、夜中までもみんなの時間や心の健康を見守り時間を切り売りしている人たちとは全く異なる、「いのちをそだてること」を中心とした生活をしている。これを一言で言うなら、水輪での生活はいのちを育んでいく「自然」と「光」のある地に足をつけた生活療法とも言える生き方をし、人として一番大切な生き方を実践しているところなのではと思う。

先生方は決して病気だからと理由をつけて甘やかさない。厳しく教育をされる。だからこそよくなっていく。先生方の厳しさの中に、優しさがあるということをみんなわかっているからなのだろう。先ほど記述した「自分にも他人にも厳しい人間」とは、本質的には厳しさの中に愛が包括されているのだと思う。最後に、先生方はもうこれ以上ないくらい、ご自身に対して厳しくされてきたのだから、ご無理のないようにしっかり睡眠を取り、これからますます寒くなってくるのであたたかくして休養をとられてほしいと切に願っている。そのためには、先生方が安心してお休みされることができるよう私たち一人一人がより成長する他ならない。「愛をもって、自分にも他人にも厳しい人間」になれるよう気を引き締めていかねばと背筋が伸びる機会になりました。ありがとうございました。

 

「おいしさは美しさ」

「生き方と働き方学校」に入学してから、食べることの楽しさを知った。私はこれまでの29年間、本当の意味で人生において食べることの楽しさを知らなかったのだと思う。食べれることが嬉しいと思うことも、きっとここに来るまで感じたことはない。家族や友人に、「本当に食べることに興味がないよね」とよく言われていた。入学前、お客さんとしてグリーンオアシスレストランのご飯を食べていた。そこで久しぶりに「おいしい」と感じたのだが、それでも体は拒否するようにえづき、食べる手を止めざるを得なかった。
やっと「おいしい」に出会えたのに、体が受け付けない。飲み込むどころか吐き出しそうだった。完全無農薬・無化学肥料の自然栽培で作られたお野菜をふんだんに使った、いのちにやさしいお料理。料理長の鷲尾さんの愛情がたっぷりはいったお料理。こんな最高のお料理を体が受け付けないなんて、なんて失礼なことをしているのだろうと思うと涙が止まらなかった。
食べれないことがこれほどまでに悲しくて、お料理の作り手に対してなんて失礼なのだろうと想い、悲しみと悔しさが大粒の涙になって流れていった。

だいたい20代になると友人の付き合いには、ほぼ必ず「食事」というものがついてくる。
レストランと言わずとも、カフェであったりコーヒーショップだったり、要するに何かを口にしながら会話するというのが大体なのだが、その当時衰弱しきっていた自分にとって「食事」とは非常に苦痛なものであり、何かを口にしたと思えばすぐに出てしまったり、気分が悪くなってしまったり酷い時には味を感じることすら苦痛だった。そんな状態ではあったが、それでも人間の体というものは空腹を感じるものであるため、またしてもその空腹感が苦痛であり、負の連鎖だった。食べれないくせに腹はすかせる自分の体に対して何度苛立ちを覚えたのだろうか。あの状態のまま放置してしまっていたら本当に衰弱死していたかもしれない。入学前の私の体は、食べ物を受け付けなくなっていた。味がわからなかった。おいしいでもまずいでも無く砂を噛んでいるような感覚だった。2年半経った今、当時の自分からすれば奇跡のように3食ちゃんと食べれている。おかわりもできるようになった。40キロだった体重が50キロまで増えた。体重は高校生の頃から変わらず、大学時代に受けた健康診断ではBMIが16だった。何をしても45キロ以上に増えなかった体重がやっと増えてくれた。
ここまでに自分の体を健康にしてくれたのは、自然の恵みをめいっぱいに受けた光の水自然農園水輪ナチュラルファームのお野菜と、厳選された素材・調味料、食事作りをする仲間、共に学び合い、高め合い、深め合う仲間たちと毎日私たちに本気で関わってくださり、指導して下さる先生方と、すべてを包み込むように見守ってくださるさおりちゃんのおかげ。水輪は、私の体に奇跡を起こしてくれた。

今日、研先生が作ってくださったパスタは、そのおいしさを噛みしめるように食べた。噛んで飲み込んでしまうのが勿体ないと感じるくらいおいしくて、「おいしいものを食べられるのは本当にありがたいなあ」と思いながら何度も何度も噛んだ。幸せな時間だった。
「おいしい」は「美味しい」と書くのだが、「おいしい」という感性は、美しさを感じることと同義なのかもしれない。
美しさは、目で見るだけではなく、舌で感じることでもあるのかもしれない。人間の理想として追求するべき3つの普遍的価値観である「真善美」の美は、見た目の美しさだけでなく「味」もその意味に相当するのだと思う。美しいものを見た時、美味しいものを口にした時、ふと溜息が出る。この感嘆の意が共通しているのだろう。
衰弱死数歩手前まできていた自分が水輪に来て、やっと食べられない苦しみから解放されたような、栄養補給のみを目的として、苦痛を感じながらもなんとか食事をしてきた人生が報われたような、そんな気持ちを覚えた夕食だった。

当時自分が食べていた料理の写真を今見返すとどれもこれも絶対においしいだろうと確信できる。思わずよだれが出そうだ。自分はなんて勿体ないことをしていたのだろうと自分を責める気持ちよりも、「おいしそう、食べたいな」と思えることがいかに幸せであるかということを噛みしめて、また明日のご飯を楽しみに待っている。
ご飯を食べることができて、楽しいです。嬉しいです。ありがとうございます。

「入学一年未満の手記を読んで」

私は2023年3月に「生き方と働き方学校」に入学した。それからは1日の終わりに、内省文と感謝文を書く毎日を過ごしている。自分の机の周りを整理していた時、
2024年1月9日の手記(メモ)がふと目にとまった。以下、そのメモの内容である。
「私自身今まで、家にいた頃は注意されたこと(経験)が少なくて最初はちょっと注意を受けるだけで感情的になって泣いていたしネガティブな感情にとらわれていたこともあった。
いろいろなことについていけずパニックになって状態が悪くなって動けなくなったこともあった。自分の弱さを克服しないといけないと思って泣きながらメモをとったし次の日には持ち越さなかった。今も引きずることもあるし何か言われること、思われることに恐れはあるけれど、それでも立ち向かわないといけない。逃げない。真剣な人間教育が行われている世界唯一の場所。その場所で学んでいること、生きていることはいつか振り返ると人生の誇りになる。全てが感謝になる。」

2024年1月9日といえば、まだ生き方と働き方学校に入学して1年にも満たないところだ。それにも関わらず、当時の自分の手記から伝わってくる「本気」と「感謝」。たった1年未満でどれほどのことを経験し、体験させて頂けたのだろうか。始めこそ、全てがわからないことだらけで、何をどうしたら良いかわからず、誰に聞いて良いかもわからずパニックになったり、混乱したり泣いたりふさぎこんだりしたのだが、この時に比べれば幾分かマシになっただろうか。目の前で起こる様々なこと、お客様の対応であったりお給仕であったりなどで今以上に遂行能力が低かった私は頭の中であれもこれもといろいろなことを巡らせてはごちゃ混ぜ料理をしてしまい、結果としてどれも中途半端にしてしまったことが多く、その結果に氣付いてはまた自己嫌悪を繰り返していた。

仲間が大丈夫だよと何度も声をかけてくれたが、その当時は自己嫌悪の渦にのまれて泣いてばかりいた頃が、まだ約2年半前にも関わらずまるで数十年前の出来事かのように懐かしく感じる。入学したての頃は水輪の無農薬無添加の加工品の袋詰めから始まったのだが、今は総務の一員として毎日パソコンとにらめっこして、母屋の一階から二階の階段をかけ上がって下る毎日を過ごしている。きっとこれは、過去の私が今に至るまでの土台を一生懸命泣きながらも、パニックになりながらも作ってきてくれたからなのだろう。あれほど衰弱していたなかでも、「強くなりたい」と思っていた自分の意志は、本気で本物だったのだろうとわかって嬉しくなった。確固たる意志を持ち、懸命に努力すれば、自己実現、そして自己超越が可能になるのかもしれない。

強くなりたくて近所のジムに通ったり、自宅で筋トレをしていた時期もあった。しかし私が理想としていた強さは、筋トレで得られなかったのだと思う。経験と体験、そして実践。それを毎日何度も何度も積み重ね、崩れてはまた積み重ね、日々の地道な努力が、自分のつけてきた感じ方・考え方のくせという「垢」を落とし、自分が決めていた限界を突破させてくれたのだと思う。当時流した涙、感じた苦しみ、怒り、悲しみなくしては得られなかった「成長」という宝を得たことを、本当に誇りに思う。泣いた、パニックを起こした、ふさぎこんだ。
それでも私は諦めなかった。実習することをやめなかった。実習から逃げなかった。自分の弱さから逃げなかった。
諦めてしまえば自分は強くなんてなれないことを最初からわかっていたからだと思う。
2年半前の春、水輪に残るか、自宅に帰るかを考えた時、脳裏にふとよぎった「断絶された帰り道」のイメージを今でも覚えている。あの時実家への帰り道に戻らなくて、本当によかった。あの時、もし戻っていたら、ただでさえ食べ物を受け付けなかった体はもっと衰弱し、自分の体を恨んだまま、色んな人たちに対して申し訳ないという気持ちを抱えたまま死んで、浮かばれることすら出来なかったかもしれない。今は食べる喜び、そして生きる喜びを嚙みしめている。いのちの森「水輪」、「生き方と働き方学校」に入学して本当によかった。
本当にありがとうございます。