2004年水輪通信47号より

日々の生活と仕事を通して

水輪ワーク&スタディーに参加して

千葉県/10代/男性

 

1月の宮島先生のセミナー時にご両親と共に水輪を訪れ、ご両親はセミナーに、彼はワーク&スタディー実習生として滞在。その後、ご両親の勧めもあり、2月の丸1ヶ月の間、再び水輪へ。将来作家希望ということもあり、期間の終了日に1ヶ月の心の軌跡を綴って頂きました。高校生とは思えないほど、落ち着い、気が利き、しっかりとしたY君。彼の苦しみを越えた成長の記録を紹介いたします。(編)

 
 

▼ はじめに

 彼はどこにでもいる高校卒業を目前に控えやがて来る春までの間、つかの間の休息を満喫している少年でありました。昨日と今日と明日を繰り返し、彼が始めたいときに1日は始まり、お腹が減れば好きなだけ食べ、TVも、漫画も、CDも、時にはお金だってあるときには買いたい物を買って、そして彼が終わらせたければその日は終わりました。そんな生活の中、彼は思いました。「何か・・・暇。」やりたいことをやりたい時にやれるのに、何か満たされない。虚しい。そんな思いがいつもありました。

 これは、そんな彼が、ひょんなことで知った「水輪」という場で過ごした1ヶ月の体験録です。平凡な少年故、成長は微々たるものかも知れません。でも少し考えが変わった、というだけでも、何か今までの自分とは違う、そんな気がします。いや、そうであると信じています。

 

▼ 全て心の持ちようだったんだ…

 こんな事がありました。その日は朝起きて朝食までの間は館内の拭き掃除か何かをしていたのですが、朝食後夕方の5時頃まで雪かきをしました。実際、「しました」、で済むほど簡単なものではありませんでした。というか拷問に近いような感じすらしました。掻いても掻いても無くならない。まるで神話か何かで出てきた人の罰(岩を山の上に運んでは、またそれが落ちて来るという、あれ)を代わりに自分が繰り返しているようでした。腕はパンパンにはれ、腰は軋み、次第に息も切れてきました。もはや無心になることなんか忘れてました。この苦しみから解放されることばかり考えていました。だんだんと立ち止まる回数が増えていきました。そして色々な思いが頭を巡っていきました。

「何で俺がこんな事しなきゃならないんだ」「家にいれば今頃好きなことやってられるのに」「ああ、疲れた」「ああ、くそ」「もうだめだ」

 その他にも色々と、それこそ色々雪かきに全く関係ないことも浮かんできました。その時、それにつられてあることが浮かんできました。

「その人に乗り越えられない苦しみは、その人には与えられない」

 確かに。仮に乗り越えられなかったらその場でショック死するか、自らの命を絶とうとかしてしまうでしょう。でも、大丈夫。僕はまだ生きている。この雪は掻ききれる。

 そう考えると俄然やる気が出てきました。勿論腕は痛み、腰は軋みます。でも何か漠然とした根拠のない自信が僕の心と体を支配しました。僕はスコップを握り直すと、雪に食って掛かるように掻きだしました。その時の集中力は普段からすれば、すごいものだったと思います。それからしばらくしてその場は終わり、次の場所に向かったわけですが、足どりは決して重くなく、「出来る」という自信とやる気に満ちていました。

 あのとき何であんなに苦しかったのか、その後のあのやる気は何だったのか、今思うと、全て心の持ちようだったんだと思います。疲れた、辛い、嫌だ、と思えば、その分体は重くなり、さあやるぞとなったとき、そんなことはどうでも良くなって、さらにはただ目の前の雪を掻き出すだけになる。水輪の言葉で言う「なりきる」ということに少し触れられた気がしました。

 

▼ 負の感情を転換する

 ここでの仕事中僕はいつもある一つのことで、悩んでいました。それは「遅い」ということです。何をするにしても、どっしりと腰を据え、終わるまでやる。というのが僕の流儀でしたが、ここは個人のものではなく、ある面で、公のもの。そんな悠長なことは言ってられるはずがありません。迅速かつ、的確に。よくよく考えると、これは社会に出て当たり前のことで、僕みたいのはのろまな役立たずで、捨てられてしまうのかも知れません。僕はどうにか早く動こうと思いました。勿論、まだ仕事になれてないというのもあると思いますが、それを抜きにして、最大限無駄を省こうと思ったのです。

 ここで思いついたのは、自分の感情のことです。やる気は集中することに於いて大切であるという事は先の雪かきの例で、実感しましたが、今度はその逆の感情、疲れたとか嫌だという負の感情は、本来、仕事自体とは全く関係ないことに着目してみました。

 何でこんな感情が出て来るんだ?こんなのさえなければもっと早く仕事が進むんじゃないか?と思ったんです。その感情の原因は単に仕事を面倒臭いもの、と決めつけている僕の心にあったわけです。別にこう思ったからといって作業が進むわけでも、独りでに床のほこりが消えるわけでもない。そんならさっさとやってしまった方がよっぽど良いではないか、集中してやれば自然と体は動き、早く終わらせることだって可能です。もうつまらないことでぐだぐだ考えを巡らすのは止めよう、そう思いました。次第に、自然に「淡々と」出来るようになってきました。そうすると以前よりはペースが上がったような感じがしました。これを家での仕事とかに活用していって、早く動くことに慣れていこうと思います。

 

▼ 冷静に客観的に見つめるもう一人の自分

 こうして、感情に左右されることの重大さ、ある意味必要で、ある意味無駄、ということや、それに伴って集中することの大切さを知った時、もうひとつ、あることに気付きました。集中している時の自分が、やけに落ちついているというか、冷静な自分がいるという事です。これは食事の後の皿拭きの時によく感じるのですが、山下さんから「何分まで」と言われたとき、普段なら焦りというものが出てくるのですが、ここ最近ではそれがなくなり、ある意味どっしりとして冷静になれるのです。そしてそんな自分を「冷静にやってるな」と見物しているもう1人の自分を感じる時があるのです。これを伸ばしていければどんなときでも冷静でいられ、それこそ迅速かつ的確に出来るのではと思っています。

 

▼ そして、これから

 今回僕が水輪で得た気づきや学びというものはワーク&スタディステイで学ぶべき事のほんの片鱗を学べたとは思っています。後はそれをいかに俗世間の中で活用できるか。ただの一般市民というというだけでない、自分を貫くかどうか、だと思っています。それには、今のままの自分では通用しません。何事にも真剣に、集中して、迅速かつ的確に、これの繰り返しで成長させていくしかないと思っています。そういう姿勢を知ったという意味で、ここでの1ヶ月はとても大切なものでした。

 帰ってからはまず日々の生活にメリハリをつけること。起きる時間を決め、その日1日の予定を出来るだけ事細かに決め、実行する。つまり自分を律するという事です。正直今の生活でやるべき事といったら、親の手伝いぐらいですが、それを本気でやる。家庭は社会の縮小図ですから、ここからしっかりとしていきたいと思っています。

 さらにアルバイトをすれば、その時こそ、ここで得たことを活かし、迅速かつ的確にやっていきたいと思っています。もし出来るなら「道のうた」ではありませんが、やり手より任せられる人になりたいと思っています。

 自分の夢である、小説で食べていくためには、まず人間性を深めること。勿論「お堅い」論文チックなものを書くつもりはありませんが、それでも小説(に限らず)は「自分」がよく表れるものだと思いますので、つまらない人間ではそれだけの文章になってしまいます。そうなると読む方の興味を引くことは出来ないと思うのです。その為には自分という人間を深めること。1日の生活で感じた、思ったことを自分なりに分析し、何を感じたか、何でそう感じたか。が基本になって来るんではないでしょうか。自分を知り、その上で伸ばし、改善し、そうすることによって少しずつ自分を良い方向に変えることが出来るのではないでしょうか。

 次に他人を知る。これも自分の時と同じ、その人が何を考え、またどうしてそう考えたか。さらにその人の長所短所を知る。(それをどうこうするのはまた別の問題として)そうして、「人」というものがどんなものかというのが分かってくるのだと思っています。

 それと同時に自分は小説というものを通して何を人に伝えたいのか、これが問題になってくると思います。これは今も詮索中ですが、自分を含め人や世間、時には自然にも目を向けて、「真理」というものを探求していこうかと思います。勿論時間がかかるのは百も承知です。一朝一夕に知れるはずはありません。そこは焦らずしっかりと腰を据え、かっと目を見開いて物事を見ていこうと思います。

 

 

Y君帰宅後、お母さんから来たお手紙から

 三月三日、今日は靖史の卒業式でした。夕方帰宅しますと水輪よりのビデオ、お手紙等がありまして早速、読ませて頂きました。みどり先生を始め、お一人お一人にあのように心をこめて書いて頂いた物を手にした時目に熱いものがこみ上げてきました。

 又きたない文字で書きなぐりのようなものでも、息子の一日一日の思いが積み重ねられていることに感動いたしました(編注:毎日その日感じたこと、気づいたこと、学んだことなどをワークシートに記入しています)。ただただ今は、感動と感謝以外にありません。夫と、本当に受け入れて頂いて良かったねと話しました。

 今日の卒業式、二〇六名の子が一人一人呼名され返事をするのですが、実は、靖史の声が一番、気合いが入っていました。全体の二番目でしたので余計、おどろきましたが、息子にあんなことができるのだ…という感動で胸が一杯となりました。家に帰りまして、息子の水輪での文を読んで、やはり水輪での経験が、あの返事だったと確信いたしました。息子の進路について親として不満と不安があったのですが、今は、この子を信じようと思います。

 話が前後してしまいますが、一日、もどりました時、夫が「水輪どうだった?」と尋ねますと素直に「良かったよ…。」と答えました。一度に全てを語る子ではないのですが、みなさんとコンビニに行った、長野へ出た、温泉へ連れて行ってもらった…などなど楽しそうに話してくれています。本当に息子にとりまして一生の財産となる一ヶ月であったと思います。感謝の言葉は尽くしきれませんが、とり急ぎお礼の気持ちをお知らせしたくペンをとりました。乱筆お許し下さい。皆様のますますご健康とご活躍をお祈り申し上げます。

水輪の皆様へ

 

 

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